チキンラーメ、ん?わたしの推しは原貫太でっす

ある人の話を聞いていたときに遡る。

「たまに食べると美味しいっすよね~チキンラーメン

そういえばチキンラーメン、12年ぐらい食べてないなぁ~って俺は思った。

すぐにスーパーで買ったものの、ラーメンを食べるタイミングって意外とないもので。

何となく気になったまま、半年が過ぎていた。

 

このままじゃ今年もあと2日しかない💦

2021年12月29日、俺は慌てていた。

急いで今年中にするのか、それとも縁起よく元旦に頂くのか。

(先生、丁度良く3日までバイトお休みですよね)

だったら年越しそばの代わりに、年越しチキンラーメンにしようよ!

結局俺はそれでいく事にした・・・

 

「チキンラーメ、ん?」

 

君は知っているかい?

この世界には飢餓や貧困で苦しんでいる人がアジア、アフリカ、北中米などの

赤道付近を中心とした地域で約8億1100万人いるという事を。

540万人の命が5歳を迎える前に・・・

学校に行けない。

電気が無い。

寒くても服が無い。

いつもお腹を空かしている。

そんな子供達の笑顔を見た事があるか?

悲しい顔よりも涙が溢れそうになるのは何故だろう・・・

 

先ほどの件(くだり)でチキンラーメンを食べる事になった俺は

ふとパッケージに記載されている「WFP国連世界食糧計画」が目に止まった。

(それでチキンラーメ、ん?なんですね)

俺は昔ドラえもんの映画や、最近だと原貫太さんの動画を見ていて

環境問題や海外支援に興味があったからだ。

 

こういった商品はチャリティー商品といわれるもので

売り上げの一部が寄付される仕組みになっている。

(たまに見かけますよね)

この日清食品が販売するチキンラーメンの場合、売り上げの内

1食0.2円が寄付され年間で3000万円分のチキンラーメン

学校給食として提供される事になっている。

「すぐおいしい、すごくおいしい」ってスワヒリ語で言いいながら

皆が楽しく食べてるところを見てみたい。

(キャッチコピー大事ですよね)

 

日本にいるといまいち実感が湧かない遠い国の話。

具体的に現地ではどの様な状況になっているのだろうか。

俺はアフリカの歴史と貧困事情を中心に、調べてみる事にした。

 

「遠きアフリカ」

 

まず最初に俺の家からの距離と行き方を探ってみよう。

今回はアフリカ中央部コンゴ民主共和国、首都キンシャサに行く事とする。

まずは距離。

地図上を直線で測ると12633キロある。

分かり易く言うと成田から佐倉までが10キロだからその1263倍

つまり成田から佐倉まで1263回歩いて行くぐらい遠いという事になる。

(先生、地元人でも分かりにくいですよ)

と兎に角💦

Qちゃんでも足が棒になっちゃうぐらい遠い場所にある国なんだ。

(佐倉出身の高橋尚子さんの事ですね)

 

次に行き方だ。

今のところ多分行かないだろうなぁと少し罪悪感を抱えながら

俺なりにネットで行き方を調べてみた。

まず成田空港まで車で行く。

家からは車で15分ぐらいで行けるから家の誰かに送ってもらおう。

今回はエチオピア航空で行くとして1タミ(第1ターミナル)からの出発だ。

間違ってANAに乗らないよう注意をしよう。

直行便は今のところないのでまずエチオピアの首都アディスアベバに行く。

フライトは16時間、8時間寝ても8時間余るぞ。

疲れそうだから現地で1泊しよう。

エチオピアで現地の食べ物インジェラやドロワットを堪能した俺は

だんだん眠くなってきてもう1泊ぐらいする事になるだろう。

そして次の日4時間のフライトを経て

ようやくコンゴ民主共和国に到着するのであった。

エチオピアの2泊がポイントですね)

 

次にアフリカ全体として貧しい国

または地域によって何故貧富の差があるのかを考えてみよう。

 

まずは原因として考えられるのが、アフリカには奴隷貿易という暗黒の歴史があった。

15世紀から19世紀半ばにかけて主に男性や子供が農業要員として

アメリカなどに連れていかれた。

オーダーを出していたのはヨーロッパ、アメリカの農業経営者などで

実際には船乗りや奴隷商人が大金目当てに現地の部族を使い行っていた。

総勢1250万人が奴隷として商売に利用され

200万人が長い船旅で犠牲になった。

彼らは船底に敷き詰められ、オールを漕いで大西洋を渡っていった。

 

その後1771年ロンドンの裁判で一人の男が勝ち

奴隷から解放された事をきっかけにヨーロッパの世論は動き出す。

イギリス、デンマーク奴隷制度が緩和、廃止されていき

ついには1815年ウィーン条約で奴隷売買の国際的禁止が明記された。

そして1860年には隆盛を極めた奴隷制度は終わりを迎えた。

 

また18世紀後半から20世紀半ばまでアフリカは植民地化されていた。

産業革命の為の資源を採掘する為、欧米はアフリカを占領下にしておきたかった。

その後20世紀初頭からアフリカ人を尊重しようという流れが始まり

(パン・アフリカ主義)

第2次世界大戦後の財政の悪化によって、欧米は植民地を維持できなくなり

一気に植民地を開放していく流れへと変わっていった。

そして1957年ガーナの独立がアフリカに希望を与え

多くのアフリカの国々が独立出来るようになっていった。

(1960年アフリカの年)

 

こうした歴史の根底には黒人差別が潜んでいたのだと思う。

しかしそれは終わった。

世界は過ちに気付いた。

いつの時代にも心ある人間がいる事を忘れてはいけない。

これからはアフリカ国内が変わっていかなくてはいけないだろう。

 

500年もの間、労働力を奪われ、自治権を持たせて貰えずにここまで来たアフリカは

現在でも国としての土台が成熟していない。

独裁政権を守る為の軍事的政治。

民主主義が根付かず国民が政治への影響力を持つ事が出来ていない。

国境紛争、資源を巡る操作された争いで治安が安定しない。

雇用を必要としない資源採掘は一部の富裕層しか生まず

薄利多売のカカオなどの農業は自然被害を受けやすく安定しない。

 

皆に出来る事は何だろう・・・

やっぱり、アレしか・・・チキ、ん?

 

「WFP国連世界食糧計画

 

「ポールテルガト」

ケニアのマラソンランナーだ。

ミラノやベルリンマラソンで世界記録を2回も作った

ケニア長距離界の父と呼ばれている。

彼は子供の頃WFPが支援する学校給食を食べて育った。

学校への道のりを毎日走り、そして強くなっていった。

彼は一体どんな気持ちで走っていたのだろう。

辛かったかな、嬉しかったかな。

ケニアの少年は走る事で世界で一番凄い人になれたんだ。

 

それぞれに出来る事がある。

足の速い人、文章が好きな人、絵が上手い人、誰よりも優しい人。

どこに住んでいてもきっと人類なら

人類なりのやり方で乗り越えていけるはずだ。

俺は文章を書く事で人に夢を与えていきたい。

 

困っている人の為、それは自分達の為でもある。

資源を大切にし、無駄にものを消費しない習慣はやがて世界の為になる。

俺が誰かを助けたいと思うこの気持ちはきっと

引き籠りの俺を助けてくれた人達の想い。

そしていつか支援を受けた現地の人がどこかで誰かを救うんだろう。

そうやって想いは循環している。

いつか世界が水不足、食料危機に陥った時

俺達を助けてくれるのは誰だろう。

 

何不自由なく食べる事が出来るこの当たり前の毎日こそ

何億円でも買えない掛けがえのない財産だった。

WFPの学校給食支援では1回5000円の寄付で

子供1人1年分の学校給食を支援する事が出来る。

 

そう、だから俺はチキンラーメンを食べるんだ。

美味しくて、温かくて、ただ俺の欲望を満たすだけかもしれないが

それでもいいだろう?

マグカップに注がれる給食を、楽しみに待つ現地の人達を思い浮かべて

同じ気持ちになってほしいと願うだけでも、俺は役に立っていると思うから。

 

12月31日、予定通り俺は年越しチキンラーメンを食べた。

お餅を入れてゆっくりと、今年は早かったなぁっ~て思いながら

世界に光が溢れますように・・・そう願った。

チキンラーメン

 

いや、アーメン💦

 

余談だが俺は今回、はてなブログ特別お題キャンペーン「わたしの推し(スター)」

というものに挑戦するべくこの記事を書いた。

今回の応募者は787人いて

その中の5人が特製Tシャツを貰えるらしい。

不覚にも「欲しいなぁ」って普通に思った。

(先生も意外とピュアなんですね)

 

それに面白いと思ったのは何かに挑戦する事。

たとえ選ばれなくても、頑張った人全員に価値があると俺は知っている。

本気を出せば、いつでも世界は動いていく事を

誰でも人に光を与えられる事を、俺は証明してみせたい。

証明しようぜ、同志達!

 

気が付けばもう年が明けていた・・・

 

END

 

※ちなみに「すぐおいしい、すごくおいしい」は

スワヒリ語で「Ni ladha mara moja,Ni ladha sana」

英語だと「Its delicious right away,and so delicious」

 

※また世界の現状について「国際協力師」原貫太さん

その他多くのネット情報を参考にさせて頂きました。