通り過ぎてしまった夏 前編

 

カズ、シドニー行くんだ・・・

長い間くすぶっていたもんな。

いいなぁ、新しい世界・・・いいなぁ。

 

2005年神戸で出番をなくしたカズは、南国シドニーFCに移籍した。

久しぶりに海を越えると意気込んだカズの行動は

当時ニートだった俺の中の何かを変えた。

次第にシンクロしていく想い、運命は動き出す。

 

やがて恋の切なさに駆られた俺は、ニートを脱出する決意をした。

そして人としての道を歩み始めた俺と

大好きだった犬との縁は少しずつ離れていった。

 

それは青年を大人へと導いていく代わりに

人生で最も大切なものを失う事を意味していたんだ。

 

外に出れば草木が風に揺れ、22歳の青春は光の中で輝いた。

胸の扉を開ければ今も、あの通り過ぎてしまった夏が蘇る・・・

 

[通り過ぎてしまった夏]

 

君は知っているかい?

現在世界には2億7000万人

日本国内にはおよそ70万人のニートがいる事を。

どこにも所属出来ない孤独に苛まれている人がいる事を。

原因としては精神的な部分が大きいだろう。

けれどそれは恥ずかしい事でも、間違っている事でもない。

俺もその中の一人、だった。

 

いずれ誰もが通るであろう道。

あの日、蛹(さなぎ)は孵化し蝶になろうとした。

 

「ドアを開けて風の中へ」

 

俺の場合、通信高校中退(中卒)という学歴コンプレックスや

強迫性障害があった事が主な原因になっていた。

そう認識できたのは、随分後に心理学を勉強してからだった。

 

社会復帰はそう簡単にはいかなかった。

今は復帰する事が全てじゃないと言える時代になったけれど

当時は会社で働く事が全てだと多くが思っていた。

昭和から平成へと時代を支え続けたのは、確かに労働力だった。

俺もその中に入って一緒に戦いたかったけれど出来なかった。

 

バイトをしようと試みても上手くいかなかった。

同級生に今の有様を知られたくないなんて言っては

成田から30分以上かかる千葉や船橋まで行って日雇いバイトに登録した。

で、結局現場が都内で遠くて行けないって感じだったり。

 

バイトの面接が何より苦手で電話をかけるまで何時間も

長いときは1週間ぐらいかかったり。

・・・今日は止めておこう

で、面接当日になるとバックレるというパターン。

(先生もなかなかのお豆腐メンタルですね)

 

他にもあらゆる方法で俺は閉じ込められた。

いや、自分自身で望んでいたのだろう・・・

 

そんなこんな家で犬と過ごすだけの毎日だった。

雨の日も雪の日もいつも一緒にいた。

表に出たかったけど、今思うと人生で一番幸せだった。

大人しくて、すぐキレる青年は

弟が出来たみたいに、思いやる気持ちを次第に学んでいった。

俺なりに少しずづ成長していたのだと思う。

部屋を出る日は近づいていた。

 

「カズ、シドニーFC移籍へ」

「4度目の海外挑戦」

ヴィッセル神戸で出番をなくしていたカズがついに動き出した。

俺の心は高鳴った。

自分も何かを成し遂げてみたい・・・

水面下でいよいよ何かが溢れるような予感が体中を駆け巡った。

 

年が明けて

歯医者で順番を待っていた俺にその時は訪れた。

「子供、出来たんだね」

ベビーカーを押す女子大生位の子達の会話が聞こえてきた。

何か胸がキューンってした。

俺が家で犬と遊んでる間に、日雇いバイトさえ上手くいかない間に

同世代の子達は子供が出来ているだって?

おいおい待ってくれ。

せめて25歳ぐらいまで誰も結婚しないでくれと俺は願ったが

もうどうにも止まらなかった💦

 

俺は焦った。

一週間梅干ししか喉を通らなかった。

ニートは埃被った脳をフル回転させて考えた。

答えはこうだ。

大検を取ろう。

俺も皆が勉強した事と同じ事をするんだ。

どんな気持ちで高校生活を送ったのだろう。

大学に行ったのかな。

それが分かれば皆に追いつけるんじゃないか、そう思った。

俺なりに出した模範解答だった。

 

1951年から続いていた大学入学資格検定(大検)や

その前身である専門学校入学者検定試験(専検)は難関とされて

ラクダが針の穴を通るよりも難しいと云われたらしい。

(それ無理じゃないですか)

当時はまだ大検と聞くと「苦労の人」という言葉が浮かんだ。

 

調べてみると丁度良い事に、旧大検は2004年で廃止され

2005年から高校卒業程度認定というものに変わっていた事が分かった。

合格の目安も60%から40%と格段に合格しやすい仕組みに変わった。

求めよさらば与えんの如く

志す者に広く門戸を開けようという文部省の計らいは

多くの人の人生に、変わるきっかけを与えてくれただろう。

 

俺は受験日を2006年8月に決めた。

あと半年しかない💦

(先生、ギリギリにならないと本気出さないタイプですよね)

こうなったら徹底的に過去問題をやって問題で覚えよう。

ちゃんと理解するのではなくパターンで覚えるという

一番やってはいけない勉強がその日から始まった。

必死だった。

もう少しで蝙蝠(こうもり)と友達になりそうだった俺も

夜は寝て、朝9時には起きるようになった。

 

科目は全部で8科目あった気がする。

国語、世界史、日本史、現代社会、数学、生物、英語。

もしかしたら家庭科もあったかもしれない。

どの科目をやったかさえ定かではないけど

あの情熱だけは覚えてる。

 

数学に取り組んだときは大変だった。

「参考書買って意気込んで、朝から晩までにらめっこ」

(何かの事業理念みたいですね)

数学ってのはいつも思うけど苦手だ。

どこがかというと

一番知りたいところが省略されていて、何でそうなるのかが書いてない。

学校行ってる人には分かるのかもしれない。

だけどこっちはニートだぞっ!

 

されどニート

俺達にはインターネットという魔法がある。

今ほど普及していなかったし、スマホもなかったけど

何とかネット環境には恵まれていた。

父の部屋のパソコンを使って俺はとっておきのサイトを見つける。

「数学ナビゲーター」である。

このサイトは掲示板形式でやり取りをしながら

分からないところを相談したりできるもので、俺は毎日入り浸った。

 

そこでは基本が分からな過ぎて、多くの人に見切られてしまったけれど

中学時代不登校だった俺を見捨てなかった数学の先生の様に

最後まで面倒を見てくれた親切な人達がいた。

数学を通して、そんな優しい人達に出会う事が出来たのは

先生が見守ってくれたのかな。

頑張ろうとする意志があればきっと誰かが助けてくれる。

皆に支えられて、試験に挑む日はやってきた。

 

千葉経済大学で2日間に渡り行われた試験。

この半年間の想いを全て解き放つように俺はペンを走らせた。

そして達成感と共に全日程を終える事が出来た。

不安だった数学は何とかなった。

ただ得意の現代社会は時間配分を間違えてしまい

採点では40%にあと少しで届かなかった。

不合格も覚悟したが、その後合格通知がきた。

 

実はこれには思う事がある。

現代社会のテストが終わるときの合図で、俺はすぐにペンを置いた。

俺が一番前の席で泣きそうなぐらい悔しい顔をしていたのを

試験管は見ていた。

他の人達はなかなか書くのを止めなかった。

 

もしかしたら試験管はそういうところを見ていたんじゃないかって。

一度は社会に出た生徒達が、何かの為に必死になって頑張ろうとしているところを。

文部省だろうが、テストだろうが、そんなものは全部無しにして

頑張った人は全員合格にしたんじゃないかって。

もしそうなら世の中捨てたもんじゃない。

この世界は本当は天国で、きっと彼らは天使なのだろう。

稲毛の空に遠く滲んでいく夕日を、ずっと見ていた・・・

 

後編へ続く