俺は安全運転宣言車! 前編

ー成田教習所にて

 

学科担当:八木沢先生

この前女の子にさぁ、こんな事言われたんだけれどぉ

「淫らってどうゆう意味ですか?」って

 

淫らって言われても・・・

困っちゃうよね

それで僕こう答えたんだ

「淫らっていうのは、なんかこう女が積極的に~」

 

僕が説明に手こずっていると女の子が

淫らに車線変更しちゃいけないんですよね?」

 

ってそれ・・・みだり!

みだりに車線変更しちゃいけないの!」

 

~シーンと静まり返る教室~

 

そこにはただ、八木沢先生の会心の一撃だけが虚しく木霊していた・・・

 

<俺は安全運転宣言車!>

 

2013年、春

 

まだ満開ではない桜並木を、自転車で勢いよく駆け上がる

引き籠っていた俺はずっと、自転車で風を切って走るのが好きだった

嫌な事全部置いていけるから

けれど29歳になって少しづつ変わっていった

それはもう一つの人生の始まり

 

空港で働くようになって通る道・・・

職場のバスドライバーとの縁・・・

この先には成田教習所がある

 

いつも通る道、関わる人との縁は

川の流れが支流を作る様に、俺を新たな場所へと運んでいく

人は互いに影響し合い生きていると知ったあの日の物語・・・

 

君は車を運転できるかい?

安全運転に自信はあるかい?

俺ははっきり言って上手くはないかもしれない

技術、経験、知識も必要だ 

けれど大事な事は上手さじゃない

 

古びた教則本にこんな言葉が書いてある

「人の命の尊さを知り豊かな人間愛を持てば、自ずとセーブされた運転になる」と

 

答えはそこにある・・・

 

<生まれ変わった日々>

 

10年という長い封印から覚めた俺は、空港へ向かう電車に乗っていた

(封印って、魔王じゃないんですから)

いわばそこは町から隔離された異世界

外国人が行き来する空間に気後れしそうになりながら

日々の景色は過ぎていった

 

担当する区間は成田空港第2ターミナルAゾーン

多い日は7000人位を相手にし、荷物を預かり5分以内にバスに積込むのが仕事

 

フラジャイルが通じないなんて言ってる暇などなく

優しい上司にいいから早く積めと怒鳴られた

 

これはSHOWなんだ、荷物を積み込む所を魅せるんだ

そう言われてその気になってる自分がいて・・・

 

「彼は何故そうまでして魅せようとするのか?」

そんなドキュメンタリー番組に出ているところを想像しながら

一人、青春してた

 

特に覚えているのは報告書を書かされた時の事

優しい上司がどうしてもOKを出してくれなくて

書き直してはもう一回

お客さんの事悪く言っちゃいけないよ、もう一回

夜中までかかった

 

実際お客さんが間違ってたんだよな、でもそう書くと帰れない・・・

俺はこんな文章を書いてみた

 

「たとえ自分に非が無くても、自分にも責任がある事を認めなくてはいけません」と

 

お客さんを悪く言わずに、さらに自分は本当は悪くない

この文章によって、俺は牢獄から解放される事が許された

思えば文章の推こう作業

書き直せるのが本当のプロだとはよく言う話

作家と編集者のコントみたいな時間は終わりを告げた

 

曲がりなりにも交通関係という環境の中で日々を過ごし

社会に出て人と関わっていると、やっぱり引っ張られていく

多分、車の免許を持って無い人なんて殆どいなかったと思う

自然と俺にも運転免許を取ろうという意識が湧いてきていた

 

<教習所入所>

 

29歳になった俺は、ようやく車の免許を取る事になった

まだ満開ではない桜並木の横を、自転車で駆け上がる

途中まで行った後、駅とは違う方向に成田教習所はある

 

この辺りではもう一つ、審査に易しいと噂の教習所もあったけれど

俺は難しい方を選んだ

何となくそっちに引っ張られていくような気がしていた

実際、学科の八木沢先生の助言や、そこで感じた事は後に大きな財産になった

 

俺は殆ど中学・高校と行っていなかったから、教習所に行ける事は

大人になってからも学校に行っているみたいで、純粋に嬉しかった

自転車で遠くまで行けるし、若い女の子も見かけられるし

授業がある日はボーナストラックの様だった

 

俺は教習所にわざと長くいる為に

午前11時の授業を受け

昼休みにファミマの塩カルビ弁当を食べた後

午後1時からの授業を受ける

そんなマイナーな授業の取り方をしていた

(相当好きですね先生も)

 

学科は兎に角、明るかった

 

兎に角、明るかった・・・

 

(何で2回言うんですか先生)

 

それぐらい学科は安心出来た

 

仮免ドライバーの君達に言いたいのは、学科の先生の話を聞く事

それだけで良い

興味を持って聞いていると段々波長が合ってきて

必要な情報にアクセス出来るようになってくる

購入する本もネット情報も、自然と良質な物が引き寄せられてくるんだ

(スピリチュアルってやつですね)

 

八木沢先生の教えの中で最も救われた言葉がある

「スピードさえ出していなければ死なない」

 

時速40kmでの衝撃はビルの2階から

時速60kmではビルの5階からの衝撃に匹敵する

 

遠心力は速度の倍数の2乗

20kmに比べると

40kmでは4倍

60kmでは9倍の遠心力がかかる

 

この言葉は今でも心のバイブルにしている

「スピードさえ出していなければ死なない」

 

そもそも人間が対応出来る速度は、18kmまでだと言われていて

40km~60kmで走る車は、人間の対応速度を遥かに超えている

安全運転を根差す為には、全員がこの事実を理解する必要がある

俺は原チャリに乗っていたから

40kmでも速いという事を体感していたのは財産だと思う

(あれ、原チャリって30kmまでじゃないんですか?)

 

と、兎に角💦

50km制限でも状況に合わせて30kmで走っても良いし

徐行や停止をしても良い

右折は→矢印が出るまで待てば良いし

停車中のバスは別に追い越さなくても良い

 

早ければ優れていて、遅ければ劣っているという雰囲気に流されず

正しい知識と心を持った人間がいる事だけを信じてほしい

「周りの円滑な交通を妨げてはいけない」という言葉は

遅いと駄目という意味ではないのだから

 

<暴れ馬を乗りこなせ>

 

マニュアル車とは暴れ馬である」

という言葉はミルキー犬山の有名な言葉

(産まれて初めて聞きましたよ先生)

 

学科は兎に角、明るかった

明るかったけれど、しかし

 

実技は暴れ馬だった

(意味が分からないんですが)

 

男はマニュアルじゃないとちょっとね~という世論に

図らずも当時の俺は流されてしまったんだ

 

その日から、不器用な俺と半クラッチのぎこちない同居生活が始まった

 

まずクラッチを踏み込む

そしてアクセルを踏みながら徐々にフワッ~とクラッチを離していくと

ほら繋がった!

分かるでしょ?

 

何とな~く、はい・・・

作り笑顔のまま俺は目を逸らした

 

それからは半クラッチを克服しようと、毎日イメージトレーニングを繰り返したが

カックンカックン言いながら日々は過ぎていって

人には合う合わないがあるらしい事を知った

 

何といってもハイライトは、道路講習も終盤に差し掛かった頃だった

成田教習所のコースである公津の杜駅付近でそれは起こった

 

丁度信号が赤になり、俺は最前線で停車した

そこは約15度の緩やかな傾斜だった

有名な坂道発進である!

 

仮免ドライバーの君達なら知っている悪名高いそれである!

(普通知ってますよ先生)

 

これか・・・

これが悪名高いそれか・・・

俺は深呼吸をしてハンドブレーキをめい一杯引いて待った

 

そして信号が青になった・・・!

俺はブオーンと勢いよくエンジンをふかし、フワーッとクラッチを離し

ハンドブレーキを思いっきり・・・

 

下へ・・・

 

下ろし・・・

 

下りない!

 

それはもうガチャガチャ言ってるだけで何にも前に進まない

そしてフゥーンというやるせない音と共にエンジンは止まった

 

ハンドブレーキを強く引きすぎたからだ

あちゃー真面目過ぎたか

 

でもまだ時間はある!

諦めるな!

 

結局俺は5回目の坂道発進を成功させ、見事に向こう岸へ渡り切った

何とその青信号で渡れたのは、俺が乗っていた車一台だけだった

 

後ろの車のおじちゃん、笑ってたよ・・・

助手席に座っているもう一人のおじちゃんが笑いながら

何かをチェックシートに記入した

 

そんな俺を知ってか知らずか

八木沢先生がこんな話をしてくれた

 

これは僕がバイクの大会で、日本一になった時の話なんだ

僕は当時タイムが伸びなくて悩んでいた

どうやって練習しても速くならない

大会はもうすぐそこまで迫っていた

 

そして僕はあるとき閃いたんだ

何も体ごとポールを避ける必要はない

車輪だけポールを避け、体を当てながら走行すればどうだろう

そうすれば最短距離でゴールまで行ける

失格になるかもしれないけれど、もうそれに賭けるしかない

 

僕はその大会で優勝する事が出来たんだ

 

どんなに困難な状況でも、信じていれば必ず突破口が見つかる

俺にはそんなメッセージが込められているように感じた

 

後編へ続く