最近、どうも歩き足りない
元々は仕事終わりに一、二時間はジョギングしていたぐらいだから無理はないだろう
調子の良い日は成田の町を一周するなんて日もざらにあった
天気も良いし、俺は久しぶりに駅の方まで歩いていく事にした
Lv17 <或る短い話~受験シーズンに想う>
中学校の路を蛇のようにくねくねと上っていく
相変わらずの狭い道を辿り、成田山の横を過ぎた頃お目当ての薬師堂へ
ここは大本堂から百メートル離れている場所にある為、気付かない人も多いだろうが
実は成田山新勝寺現存最古の御堂として、市の有形文化財に指定されている
祀られている薬師如来は人々の病患を救い、悟りへと導く事を誓った仏だという
「もっと引いた位置から人生を観なさい、へばり付いた画面から離れなさい」
本堂に手を合わせ目を閉じていると、そんなお告げが聞こえてくるようだった
日頃のお礼参りを済ませて、もう少し奥の方まで参道を歩いていく
薬師堂の隣りにあったおもちゃ屋は、現在は雛人形や招き猫を売るお店になっていたが
良く見ると昔と同じ店名が大きく壁に記載してあり、ほっとした
運営者が同じかは定かではないが、多分子供が跡を継いだのだと思う
何故だろう
なるべくなら子供の頃のまま、全て変わらないで欲しいと思う人間の心理は
人や物が変わっていくからこそ、湧き上がるものなのだろうか
何も変わらなければ、変わって欲しいと思うものなのだろうか
あれから二十余年、長い時が流れても俺はこの町で生きている
背が高く、深く帽子を被っているせいだろうか
最近は、韓国人か中国人だと思われる事が多くなったような気がする
確かに喋らなければ、国籍なんて分からないのも無理はないが……
しかし、長い道を歩いてみても何か物を買わなければ
会話の一つも生まれないというのは、どこか寂しさを感じてしまう
地元成田にも関わらず、誰も話す人がいない事に急に恥ずかしさを覚えた俺は
観光客のふりをしたまま、家路を辿る事にした
途中、一つ道を中に入るとそこには成田中学校がある、ここはもう二十年は来ていない
苦い思い出のある場所、反抗期に迷惑かけた場所、ずっと避けて通ってきた道
不思議な事に、子供達で賑わっていた小学校とは打って変わり
ここはまるで時が止まったかのような静寂に包まれていた
校庭にも、テニスコートにも誰もいない、まさか日曜日でもあるまいし
良く見てみると、自転車置き場には急いでいたのであろうか
確かに誰かのカバンが、自転車の荷台に括り付けたままになっている
そういえば思い当たる節がある、そう今の時期は受験シーズン真っ盛り
全国的に高校受験は2月21、22日頃に行われるという
来週には運命のテストが控えている、だからこんなにも静かなんだ
彼らは今、高校、大学、就職、結婚、将来への道を
これから自分で、切り開いていかなくてはならない岐路に立たされている
どんなに心細いだろう、幼いながらどんなに努力をしてきただろう
勉強だけではない、日々の様々な思いの中で必死にもがいてきただろう
二十余年前、当時の俺はそんな皆の気持ち
勉強とか真面目に生きてく気持ちなんて、一切分からない愚か者
無責任に、音楽なんて夢の夢語っていただけの臆病者
戦おうとする友を見捨てて、現実から、出来もしない勉強から目を逸らしていただけ
こんなにも時は流れてしまった、取り戻せない思いが込み上げる
どうして、どうしてもっと素直になれなかった?
俺はようやく、あの頃の皆の気持ちに追いつく事が出来たようだ
帰り道、或る話を思い出した、この道の先には成田文化会館がある
確か六年ほど前の演奏会を最後に、縁は遠ざかってしまったが
年に一回、六月に開かれる、高校生定期演奏会に俺は良く足を運んでいた
歩いていける場所で、無料でクラシック音楽が聴けるという事や
習っていたギター発表会の予行演習になるという理由もあった
けれど俺が憧れ、心惹かれていたのは本当は音楽ではなく
学生達の持つ未完の可能性、無責任なエネルギー、若さゆえの嘘偽りない笑顔
そこに今の自分には足りないものを、見出そうとしていたのかもしれない
演奏会も終盤に差し掛かった頃、部長をやっていた女子生徒が言った言葉
それは今でも忘れない、以来ずっと心に残り続ける言葉になった
「私達は年に一回、六月に行われる定期演奏会に向けて一生懸命練習をしてきました
雨の日も、風の日も、たとえどんなに疲れていても皆で笑顔になりたい一心で
やらなくてはいけない勉強よりも真剣に、毎日楽器の練習ばかりしてしまいました」
東大を受験する生徒も年に何人かいるという、県内でも有数の進学校
俺はこの後、女子生徒はこう言うだろうと思って聞いていた
「もっと勉強をしなくてはいけません」と
答えは思いのほか……違った
「私達はやらなくてはいけない勉強よりも真剣に、毎日楽器の練習をしてしまいました
しかし、大切な勉強を差し置いてでも何かに熱中出来た自分達を誇りに思っています!
それぐらい大好きな音楽に出会えた事に誇りを持っています!」
音楽が育んだ感性か、それとも文武両道、成田高校の教育方針か
いずれにしても、こんなにも心が洗われるような気がしたのは人生で初めてだった
それは、俺がずっと聞きたかった言葉
いや、自分が言わなくてはならない言葉だった……
1999年、春 15歳の俺は勉強に勤しむ友に
重くのしかかる現実に背を向け、校舎裏のフェンスを飛び越えた
自分は皆とは違う、ここにいたら自分じゃなくなる
どうしていいか分からないまま全てから逃げていた、あの日
一人になる事でしか自分を守る事が出来なかった、あの日
求めていた答えが、初めから傍にあったとも知らず……
END